亡き父の日記−20年ぶりに私の元へ
「これ、あなたのお父さんの日記」
今日、ぼっちゃんを連れて、お散歩に出かけようかとしていたところ、
グラニーの友人から電話があった。
「今、家にいる?お茶のみにいってもいい?」
そう、この方も3週間に一回程度、
我が家へお茶のみに来てくださるグラニーのお友達であり、
ワタシの第二のママ的存在のお方。
ワタシ「もちろん〜!どうぞー!」
(ピンポーン🎵)
おばちゃん「いや〜今日ね、片付けていたら
あなたのお父さんが残した日記をみつけたのよ。あなた、これ見たことある?」
(なぬ!?👀)
ワタシ「いや、ない。初めて…そんなのお父さん残してたんだ。」
おばちゃん「そうなのよ〜。闘病中に書いた日記なのよ。あなたのこととか、お母さんへの感謝の言葉なんか色々書かれててね…(泣)ごめんなさい…
いや、もしかして当時あなた11歳だったから、この日記の存在覚えてるかな、
そもそも知っているのかな〜と思って持ってきたのよ。よかったら読みなさい。
お父さんは秀才ですごく文章のセンスのある人だったのよ。」
お父さんが英語の辞書出版したくて、
長年原稿を書いていたのは知っている。
医者の傍、治療の合間はいつも机に着いて英語を勉強していたな・・・
(患者さん待たせていたぐらいw)
ワタシ「そんなの全然知らなかった。ありがとう…。」
(ワタシもつい、泣いた)
おばちゃん「いや、今日こんな寂しい話するために来たんじゃないんだけどさ…
ごめんね。泣かせちゃって。」
ワタシ「いやいや、ありがとう。お父さんの文章見たことないから読んでみたい!」
おばちゃん「うん、読んでごらんなさい。あんな亭主関白のお父さんだったけど、
お母さんには感謝していたのよ。」
そう。お父さんは超亭主関白で、ワタシが覚えている昔のお母さんは
今とは別人。いつもお父さんの機嫌を伺って生活していた感じ。
今や、「こんなに天然だったんかーい!」と突っ込みたくなるほど、
笑顔が多くて、天真爛漫でおもしろいお母さんw
もう、題名からしてセンスの良さが伺えた。
20年も前の紙なので、黄ばんでしまっている
おばちゃんが帰った後、ぼっちゃんを寝かせ、
ワタシは一気にお父さんの日記を読んだ。
もう涙が滝のように溢れ出て、
鼻もつまって息がし難くなるほど泣いた。
言葉の綾がすごく上手
小説でも自伝でもいいから出せばよかったのに
頭の良さが伺えた
それと、お母さんへの感謝の気持ちも
本業は医者のくせに、英会話の先生もして、
PTA会長も長年して、地域の小中学校のPTA統合も行い、
ALTの先生を招いて家でパーティーして人を楽しませたり・・・
たくさん人に恵まれ、大いに地域貢献してきた人だったんだと知った。
今や、お父さんの声も思い出せない。
一気に会いたくなった。
闘病生活で入院していたため、
ワタシの小学校の卒業式、中学校の入学式に来れなかった
悔しさも触れてあった。
毎日、刺される数本の点滴針に採血針の痛みなどが
文章から伝わってきた
お父さんの思いを知ると、涙しか出てこない。
(わ”〜この日記にやられたわーーー)
この日記は、お父さんが亡くなった後、
友人の方が、ワードに落として印刷し、
冊子にして仲間に配ったという。
それが、今日私の手元にきた。
お父さんがやってきたこと・・
全部はできないけど
ワタシも引き継いでいきたい!と心の中で何かエネルギーが湧き上がった
この日記が今日私の手に入ったのも
何かの「縁」だ。
何か、お父さんからのメッセージかもしれない